November 2011
November 18, 2011

先日、私自身はキラキラよりも、失敗をして落ち込んだり、滅入ったり、努力しているのに思い通りにならずにイライラする事も多く、困ったものなのだけれども、自分の中の救いは、常に常にキラキラする方向を目指していること。と、いうような事を書きましたら、たくさんの方々から、共感のコメントを頂きました。嬉しかったです。
さて、そのキラキラとはちょっと違うかもしれませんが、年末になると視覚的にもキラキラしたものが恋しくなります。しかし、どうして女の人は光るものが好きなのかな? 私も光るもの大好き。
輝きといえばダイアモンドが理想ですが、光る絹の光沢とか、金銀の輝きとか、ガラスの輝きも大好き。

札幌市の百合が原公園のリース飾り。今日、完成し、壊れないように梱包して、札幌市公園緑化協会さんの方へ送りました。どうか、壊れないで届いて欲しい。仕上げをどうしようか随分迷ったのですが、浅草橋に行き、小さな鈴、百個入りのものを買ってきて、木馬ではフランス製のリボンを購入。

手持ちのリボンやほかの飾りをいろいろ付けてみたのだけれども、やはりピンとこなくて重い腰をあげて浅草橋へ買いに行った。

リボンはひとしぼりづつ細いワイヤで留めて、それをいくつも繰り返すとこういう形になります。
カブ君が覗いています。

もうひとつは、マツボックリのリース、これには細かいたくさんのクリスタルを付けました。
同じくガラスでできた小鳥の飾りはこれまたドイツのクリスマス市で買ったもの。

透明ラッカーなどでスプレイして、強度や輝きを増そうか、迷いましたが、素朴な仕上がりのままとした。いじり殺しというか、やり過ぎないようにするのも大切なこと。

先週から私の書斎の入り口にしばらく吊るしてあったのですが、もう今は、北海道へ旅立った。寂しい。今頃、宅急便のトラックの中かな。
2011年。今年は、さまざまな厳しいことが起きたけれども、来年以降は平穏無事に過ごせますように。そして、また、庭もリセットして、気持ちも新たにゼロからのスタート、みたいな気持ちを込めて正円ではなく、このリースは楕円形でゼロの形にしました。
北海道はもう、雪ですって!?北海道にお住まいの方はぜひ、百合が原公園に見に行ってくださいね。
たっくさんのリースに出会えると思います。
November 17, 2011

今回は、オーナーより「何かちょっと珍しい植物を植えて欲しい」との要請が。さあて、何にするか。
来年の春まで咲き続けるパンジー、シクラメンは外せませんが、それだとどうしても平凡な印象になります。
カフェドイシスの庭では、「植物のフォルム違いで色のテーマを統一させる」という手法で、毎年さまざまな植物を植えてきました。いろいろ探して決定したのが、ベルネチアのピンクとカルーナガーデンガールズのピンクそれにピンク系のフリルパンジー 。

こちらのコメント欄にもこのペルネチアのお勧めをいただいています。ありがとうございました。
夏の庭と違い、これからしばらく植物が大きく繁茂することがないので、 遠景で見ると、この植栽は小さいのですが、この花壇は眼の高さに近い場所にあるので、以外と付近を通る方がじっくり覗き込んでいらっしゃいます。

珍しい植物を。との要請がなければここには白×ピンク系のハボタンで大きくアレンジしてもよかったのですが、植物の楽しさには、遠景で良いときと、近景で楽しめるもの、それぞれの違いがあります。
今回は立ち止まって眺めるようなアレンジとしました。

素晴しく繁茂したのが例の栄養系アリッサム。剪定のタイミングにより、うまく行った場所とそうでなかった場所がでた。植え付けの最初の年はタイミングを変えたことで違いがでた。ひとつのわかったことはざっくりと切り戻すよりも、時々形を整えたり髪を透くみたいに間引きしたほうがきれいな姿が保ちやすいようですね。

3年前に植えたユッカなどが大きくなってきているので、段々一年草の植える隙間が無くなってきています。そこは、銅製のスコップで広がった「古い根っこ」を切り戻しています。新たな根を植える穴ができたら新しい培養土を入れて植え付け。時に右上のマーガレットがまだ咲きません。

レストラン室内から見える庭も、常緑フィリングプランツが増えて、アクセントの花の植わる面積が減りました。いくつかの植物を抜き、位置を変え、バランスを調整。

写真は作業を終えてから撮ったものですが、刈り込み、剪定、芽減らし、切り戻すことでジャングルになりそうな庭を小綺麗に保つのは、「ハサミ」「鋏」「セカタース」チョッキン、チョキンとひたすらのカット、そして、時には抜いてしまうこと。私はベスチャトーさんの「植え替えを恐れないことよ」というひとことによって、精神的な躊躇をともなう植物の引き抜きを積極的にしていますが、今はクリスマスローズの植え替えにも適した11月!自分の庭もただ今、いろいろ「チョッキン、チョキン、抜き、抜き」週間です。

あー。私も庭の作業じゃなくて、おしゃれをして、カフェドイシスに食事に行きたいです。ご利用は、必ず予約をしてからどうぞ。カフェドイシスのサイトはこちら。
それから、今年の6月の写真はこちら。アジサイ’アナベル’は、地際近くまで切り戻しています。ほかのアジサイはこんなことをすると花が咲きませんが、アナベルは萌芽力が優れ、来年も花が咲きます。それよりも、樹形が暴れるので、すっきりと戻して吉です。
November 16, 2011
心に触れる文章、コメント。たくさん頂き、ありがとうございます。

それぞれのお気持ちに、お返事を書けない自分は心無いことをしているような気もして、切ないです。
それに、こんなに素敵な文章、普通に古い友人とのメールのやりとりでも、もらうことありません。しっとりとした情感のある、素敵な文章を書いていただく事が多いので。
「文章が長いと退屈」とのコメントも頂きましたが、そう思う方は飛ばしていただきたく、先へ。
先日は、妊娠11週目、39歳の妊婦さんから。
お母様と過ごした秋の庭の、おそらく、そんなにのんびりとした庭の時間が取れるのは、当分お預けの...。美しい秋の一日の情景が描かれていました。お母様と庭に球根を植えた事をなによりも幸せに感じたそうです。
実は、今日
が息子の誕生日で。20年前の一昨日が父の命日。私も父を失った時の事や息子の誕生前後の事を思い出していました。そして、孫の誕生を半ば諦めていた母の喜びようのことも。いずれも凄いお天気で。11月って、悲しいくらいに空が青い瞬間がありますね。
しかし、子どもが生まれてからの数年間は、息つく間もなく、秋に球根を植えるなんて、とてもできませんでした。
なので、球根を植える行為は、暮らしのゆとりの証しだと、思えてなりません。
それから、ベビーが生まれてからの数年は、私は妙にいつも孤独でした。あの頃、それまでの友人ともそりが合わなくなって。それで、赤ちゃんと二人だけでいると、却って孤独のどん底に落ちるような気もしていました。あの不思議な感覚はちょっと説明ができないのですが。
実家も離れていたので、仕事も休めない状況で、昼は保育園以外に頼るツテもなく、よく真夜中には授乳しながら仕事していましたっけ。
で、50代半ばの今、あらためて赤ちゃんへの思慕が自分の中から溢れるときがあります。あるいは、赤ちゃんはみんなかわいいなあ。と、思う気持ち、と、いえば単純すぎますが。

そんな気持ちを今、人形作りに託して、なにか、女性としての母性の埋め合わせのような感覚を味わうのです。また、子供の頃人形遊びにのめり込んでいましたが、あの感覚は何だったのでしょうか。
私は、お人形(バービー)で、よくストリーを作って遊んでいました。バービーのお父さんがしょっちゅう熱病で死んじゃっていました。話がそれるので戻しますが。
そこで今、自分がフェアリーを庭に置いてストリーのある写真を撮るのは、それにも近い、どうも先祖帰りみたいな感覚を味わうのです。
自分の泉の底の方から湧き出るようなエネルギーで作るフェアリー、やはりすごく不思議な衝動です。だから共感してくれる女性が現れると、凄く嬉しい。
そして、特に子どもを産んでない方や1〜2人しか生んでない少産の女性(私)へ。子どもを多産するゴージャスな感覚をクラフトで味わうのよ、というと笑われてしまいそうですが、母性は、女性なら誰もが、少なからず何かしらの形で持っていると思います。それを表現するのは、ガーデニングでもボランティアでも何でも良いのですが「育てる感覚」こそは私が30代以降からずっと探していた生き甲斐の証しなのです。
さあて!今日は自由が丘のイシスの庭に半年ぶりのデザイン管理。六本木のボタニカは大人になり、手の離れた子どものようですが、イシスは半年に一度はまだ入るので、ハイティーンの子どものよう。
庭も自分の子どもも、気になるのは一緒です。なので、放置すると、かなり心配。

それぞれのお気持ちに、お返事を書けない自分は心無いことをしているような気もして、切ないです。
それに、こんなに素敵な文章、普通に古い友人とのメールのやりとりでも、もらうことありません。しっとりとした情感のある、素敵な文章を書いていただく事が多いので。
「文章が長いと退屈」とのコメントも頂きましたが、そう思う方は飛ばしていただきたく、先へ。
先日は、妊娠11週目、39歳の妊婦さんから。
お母様と過ごした秋の庭の、おそらく、そんなにのんびりとした庭の時間が取れるのは、当分お預けの...。美しい秋の一日の情景が描かれていました。お母様と庭に球根を植えた事をなによりも幸せに感じたそうです。
実は、今日
が息子の誕生日で。20年前の一昨日が父の命日。私も父を失った時の事や息子の誕生前後の事を思い出していました。そして、孫の誕生を半ば諦めていた母の喜びようのことも。いずれも凄いお天気で。11月って、悲しいくらいに空が青い瞬間がありますね。
しかし、子どもが生まれてからの数年間は、息つく間もなく、秋に球根を植えるなんて、とてもできませんでした。
なので、球根を植える行為は、暮らしのゆとりの証しだと、思えてなりません。
それから、ベビーが生まれてからの数年は、私は妙にいつも孤独でした。あの頃、それまでの友人ともそりが合わなくなって。それで、赤ちゃんと二人だけでいると、却って孤独のどん底に落ちるような気もしていました。あの不思議な感覚はちょっと説明ができないのですが。
実家も離れていたので、仕事も休めない状況で、昼は保育園以外に頼るツテもなく、よく真夜中には授乳しながら仕事していましたっけ。
で、50代半ばの今、あらためて赤ちゃんへの思慕が自分の中から溢れるときがあります。あるいは、赤ちゃんはみんなかわいいなあ。と、思う気持ち、と、いえば単純すぎますが。

そんな気持ちを今、人形作りに託して、なにか、女性としての母性の埋め合わせのような感覚を味わうのです。また、子供の頃人形遊びにのめり込んでいましたが、あの感覚は何だったのでしょうか。
私は、お人形(バービー)で、よくストリーを作って遊んでいました。バービーのお父さんがしょっちゅう熱病で死んじゃっていました。話がそれるので戻しますが。
そこで今、自分がフェアリーを庭に置いてストリーのある写真を撮るのは、それにも近い、どうも先祖帰りみたいな感覚を味わうのです。
自分の泉の底の方から湧き出るようなエネルギーで作るフェアリー、やはりすごく不思議な衝動です。だから共感してくれる女性が現れると、凄く嬉しい。
そして、特に子どもを産んでない方や1〜2人しか生んでない少産の女性(私)へ。子どもを多産するゴージャスな感覚をクラフトで味わうのよ、というと笑われてしまいそうですが、母性は、女性なら誰もが、少なからず何かしらの形で持っていると思います。それを表現するのは、ガーデニングでもボランティアでも何でも良いのですが「育てる感覚」こそは私が30代以降からずっと探していた生き甲斐の証しなのです。
さあて!今日は自由が丘のイシスの庭に半年ぶりのデザイン管理。六本木のボタニカは大人になり、手の離れた子どものようですが、イシスは半年に一度はまだ入るので、ハイティーンの子どものよう。
庭も自分の子どもも、気になるのは一緒です。なので、放置すると、かなり心配。
November 15, 2011
November 14, 2011

募集記事とイメージの違うフェアリーが出来てきましたが、前のものよりも、誰にでも作りやすくニュートラルな姿になるように工夫しました。心配は、応募下さった方が写真とイメージの違うフェアリーを作ることに抵抗感があるかもしれないということですが、手先が器用でないかたでも、楽しめるデザインを工夫してみたのです。
いつもカルチャークラブの講座開催で頭の痛いのが、半年、一年先に開講する講座の制作作品の仕上がり写真を自前で持っていなくてはならないこと。
これが難しくて「もう来年はやりません。出来ません」と、毎年、心ではおもっているのですが。それで13年も経ってしまいました。

寄せ植えの講座も、毎年内容を変えてずっとやってきましたが、毎回、同じ様なことをするのには抵抗があって、それで、今年はフェアリーとしたのですが、これが想像以上に大変なことでした。
「作り方」をお教えするのって、自分が勝手に作るのと、またちょっと違いますね。そういう意味で教えるのがうまい料理研究家と、美味しい料理を作る人って必ずしも、同じじゃない。
私は教える事には、あまり自信がないのですが、自分が良いと思ったことを人に伝えるのがライフワークになっている。だから今回の講座もフェアリー人形作りの魅力を他の人に伝えたくて。その準備も、今回も、この12月と3月が最後になるからと、言い聞かせて必死です。(先のことは不明というような意味ですが)このまるまる7日間ほどは、家族もびっくり、講座の準備漬け。他の仕事もやりつつですが。人形の手も、ようやく50セット完成。これだけで2日間かかりました。


急に桜の葉っ葉が色づいて紅葉してきました。落葉掃除が大変な毎日です。今日はそれもしないで人形準備。