June 2015
June 29, 2015
きっと、気にかかること書いてるなあ。と、書きながら思ったのですが、いつもながら、疲れた頭で短い時間にネガティブな事を書くのは危険。とは、思いつつ。写真は今回の旅で撮った、薔薇の村、ジェルブロアや、今回、立ち寄ったノルマンディの村々、パリの日常。
なにゆえに、この古い街並みを残すか。便利か、不便か。ではない視点からこの景色が守られている。
以下のお便りを頂くのは当然の成り行きですね。名無しさんから。ありがとうございました。
- 「景色。というものを作る意識は日本にもあったと想いますよ。寺院の庭などベルサイユよりずっと古い庭を見ればわかります。日本の美にももう少し心を配っていただければと。」
ちょっと私も、言葉足らずでしたね。スミマセン。たしかに、日本でも、京都や奈良の寺社建築と庭園には素晴しい景観がありますよね。 私も、京都や奈良で寺社建築や庭を観るのは大好きです。京都か奈良に行きたいねー。は、家族の口癖なんですが。なんといっても、私の父までは代々、奈良県人でしたし、祖父は古典的な寺社建築の建築家でした。国際バラとガーデニングショウのコンテストで誰よりも「あかざ」さんの作る日本庭園を愛する者として、誤解をさけるため少し長くなるけれども、巧く伝わらないかもしれないけれども、書いてみます。
私のいう「景色」の意味。洋風かぶれの意味ではない。日本の美はあるが、あれがそのまま現代の暮らしに受け継がれてこれたのか。という疑問です。
「現代の日本の街並み」、いえ、「現代の田舎の日本の景色」でもいいのですが、それが、ヴェルサイユよりも古い、「日本の寺社建築と庭の景色」のまま、現代の私たちの国全体の「景色」として、ちゃんと受け継がれてきているのか。京都の寺と庭の景色には、箱庭のようなコンパクトな完結した美があるけれども。ランドスケープとして、現代の暮らしにそれが繋げられるか。
ということ。その「???」が、私の気持ちの根底にあります。
これは、結論の出ていることではなく、私のなかの、疑問です。
「...だろうか」ないし「???」です。
あるだろうか。という疑問です。そこは、わからないのですけれどもね。
、まあ、マリーアントワネットの田舎家の景色を引き合いにしたのは、失敗でした。
この写真で、それを言えばよかったのかな。この写真の景色は特に珍しくもない、ノルマンディの村の景色です。その、景観の概念。
たとえば、パリの街では、17世紀の時点で、景観の色彩条例がでていたと聞きました。それはなんでも、ベイジュ、ネイビー、ブラウン、ブラックなどは良いが、赤や黄色などは駄目だと。
先日もパリの街でマクドナルドが、グリーン地に黄色のグラフィックで、シックな感じで目に入りました。
ヴェルサイユの街のゴミ箱の色、いいなと思って。
(石畳は超歩きにくいのに、そこらじゅうに残っている)
いいたかったのは、あんな感じの景色が、今も普通に、一般人が暮らす街や村の景色にも、ある。てんで、珍しくない。ヨーロッパの景色としてある。(破壊された景色の場所も、そりゃあるけれど)。
特に今回巡ったノルマンディ地方は、第二次世界大戦で随分爆弾を落とされ、燃えた村が多かったと聞きます。
しかし、このように、時には、修復を繰り返し、街や村の景色を長く残してきたことを、偉業だと感じます。京都や奈良もそういう意味で、部分的に素敵な街並みが、ありますが。
私のなかで、ずっと続く「???」は、学生時代からずっと続いてきました。
「ランドスケープ(景観)の概念が、古来日本にはなかった」
のは、本当だろうか?本当は、あったのかもしれません。
大学の、景観に関するゼミで、それを教授から聞いちゃった私は、「そうなんだな」とずっと思ってきました。当時の池袋とか、地元の街並みを眺めながら。
だから、園芸も、盆栽や鉢植えなどでの園芸栽培は盛んになったけれども、イギリスの庭のように、それ(ガーデニング)が、景色作りのランドスケープに広がらないのは、なぜなのか。
震災があったり、台風があったり、戦争に負けたり、いろいろ大変だったので、仕方がないのですが。
ただ、現代のライフスタイルでは、私としては、残念ながら、西洋のほうが、学び甲斐のあることが、多いのです。
そもそも....、25年ほど前、人生に一度は、春夏秋冬を、西洋に住んでみなくてはいけないと切羽詰まった理由は、和の暮らしに戻れなくなっている、自分のライフスタイルが原因でした。「本物を知らないで西洋発のデザインの仕事をするなんて」と焦ったのです。いうほど、外国に移住するのは簡単ではありません。住み続けることも.....。
戦後すぐ、私の両親が関西から東京に移住。私は東京の新宿区に生まれ、そこそこに都会ではありましたが、子どものころは、畳に布団を敷いて寝ていた時期もありました。
でも、東京オリンピックのあたりを境に、物心つくとそれはベッドになり、食事もイスとテーブルの暮らしが始まっていました。父もデザイナー。バウハウス式を善しとしていました。
もう、畳に敷く布団や、畳の上で正座する食事生活はしないんだ。と、「はた!」と、気づいた時から、まずいんじゃないか。と、思い始めていました。では、イスとベッド、いわゆる「洋風」の生活のほうが暮らしやすいとして、その、本物である西洋の源流の流儀も知らずに、このまま日本で適当な「洋風」インテリアはいやだと思っていました。かといって、当時はよくわからなかったです。
そのあたりの話は、NHKのカルチャーセンターでお話しました。
そう思ったからには、本物を知らなくては駄目だと思っての、移住でした。日本の美に興味がないわけではないのですが、畳の暮らしには戻れない。
私は、イスやベッドで暮らしたい。ま、あとは、好みの問題なので、私は、日本の美に気を配ってといわれても、美しく和の暮らしの出来ている友人や、慣れた様子で着物を着こなせる友人に憧れますが、それはいうべき相手が違うように思いますね。(一応、我が家にも、↑和室あるんですが....。やっぱり、一番多くの時間を自分が過ごして気持ちのいいのは、この台所)
もっともモダンにする手もあったのでしたが、もっとも好きだと思うことを追究したらこうなった。
ただ、今の日本で暮らして行くうえで、自分が納得するスタイルに持って行くには、どうすればいいのか。そこは、今も、悩みながらも、考えています。
(ジェルブロワ、薔薇の村。日本の村の村起こしのヒントにならないでしょうか。日本の民家を活かして「花の村」できないかなあ。と、先日も、群馬県中之条町の仕事をしていて、思いました)
いつも思うのですが、街並の景色。さいきん、ようやく、街並みのランドスケープをよくして行こうと、行政の側の努力も始まっています。街から、電信柱や電線を無くして行こうという動きもでて来ました。地震や災害の多い国ゆえにその復興を考えると、その 難しさもよくわかるのですが。
でも、この際、私は、和か洋か。ということは、それは、個人個人が、好きに選べば良いこと。他人がとやかくいう筋ではないものの、和でも洋でもいいから、街をちょっと素敵に見せるには「緑の多い街並み」が大前提だと思っています。
あるいは、緑や花を、活かし、残して行くには、好きだったり、愛だったり、努力も要るんだという認識です。他人任せではなく。でも、それは個人のレベルでは、いうほど簡単ではない。と、例の環境省主催のイベントでもお話しましたが、ボランティアといっても、これも大変なことで、まずは、住民ひとりひとりの意識を上げる動きを。と、思うのです。はぁー。
長くなりましたが。
結論としては、和でも洋でもいい。この景色は、たまたまヴェルサイユの中ですが、これと似たような。というより、むしろ、本物の景色が、普通に市民の暮らす街や村に存在するので、驚くというか。むしろ、ヴェルサイユよりも、(私にはこの景色はテーマパークみたいに見えたんですが)もっとリアルの美が現代に脈々と受け継がれていることが、羨ましく思えて仕方なかったです。
それでいて、ル・コルビジェも生まれている国ですし。コルビジェはコルビジェで別のところで景色に調和してるんだと思うんですね。
日本の風土のなかで、眺めの喜ばしさを考慮した街づくりや家づくりや庭づくりは簡単ではないけれども、先ずは、意識を持つところから。そんなふうに思います。とかいって!自分の庭をなんとかせぃ!出張や仕事や、旅行なんか行ってるから、手入れが悪いぞー。と、悩ましいこと連続。
常日頃思っている、こんなことを書かせていただく、良いチャンスでした。ながながとスミマセン。うまく伝わったでしょうか。
June 28, 2015
ヴェルサイユ宮殿の庭。以前、何度か訪ねた時に、ここが偉大だってことは理解できるけれども、広すぎて...。と、思っていました。だから、こんどこそ、その素晴らしさを理解できる旅にしたいと思っていたのです。ネプチューンの泉水で水が出始めたところ。みんなで芝生に座って観賞しました。(音楽付き)
それには、ここの回り方、歩き方とか、時間とか、チャンスとか。
だから今年はラッキーでした
噴水はいつもでているわけではない。と、いう印象です。今回は没後300年のイベントでどこでも大盤振る舞い。写真はドラゴンの泉水。
でも、昔、ここを訪ねた時に。この規模の大きさに、この世界観に、
日本の小さな暮らしで身についてしまった自分の小さめの心臓には理解の難しいような。ついていけないなー。と、思えたことがありました。そのときも、自分がこんな風に思えてしまうことは勿体ないんだけど。とは、思ったのですが。
でも、今回は、美しいー!っと、繰り返し思ったのでした。
古典あり。コンテンポラリーあり。
ネプチューンの噴水の水が出る前。電気もない時代に、このような噴水が計画されたこと自体が凄いことですね。
今回、ラッキーなことに、ルイ14世の没後300年のイベントで夜の公開があったため、庭を歩いたのが、午後8時をすぎていたから。というのはあったと思う。光がやさしい。
その日は、晴れてはいなかったし、美しい夕陽ではなかったのですが、炎天下でもなかったので。
王妃の農村もゆったり観れた。景色。というものを作る意識。300年前の日本にあっただろうか。
この庭が完成したのは、1786年。フランス革命は1789年秋に勃発。
曇っていたせいもあり、花の香りが素晴しく強く感じた。
どこに行っても、バイカウツギ Philadelphus が咲いてその香りが。
夏のフランス。夜は、10時を過ぎてもあかるい程なので、この日の花火大会も、夜は23時からの開催。
なので、微妙なダスク。トワイライトのなかをライトアップされた中、それから、幾度に修復中で観ることのできなかった噴水も、大々的に水を吹き上げて魅せる気満々だったのがよかった。歓迎されているような感じがして。
噴水も庭のデザインの一部であって、その噴水の上がり方の美もじっくり観賞できました。
修復の終わった噴水もいくつかあって。今回、一番観たかった、エンケラドゥスの木立の噴水。
こんなに見事なトレイラージュはほかにないと思われます。こうしたものも繰り返し修復されて。
18世紀の衣装のパフォーマンスの切符を買ったため、再度、宮廷内に入場できた。限られた人数で空間を占有できたので、また、いっそうの気持ちを込めながら、この世界に入りこめたのでした。
この宮廷音楽を聞きながら、320年前の6月の午後8時にも、これと同じ光がこの空間にさしてこの人達はこんな恰好をしてここを歩いたのかな。
そんなことを考えるとワクワクしました。私、もしかしてこの時代に前世があったんじゃないかなとか。
ああ、そういえば、この空間。コッポラ監督の映画、マリーアントワネットでも使われた。。
衣装の色彩、実際の衣装も明るいパステルカラーの絹が多かったようですね。
フランス革命で、奪われてしまった家具類も。今は再生されたものが、しかも、金箔やゴールドのペイントが新らしいので、輝いています。
午後10時半のヴェルサイユ宮殿前。ホテルが近かったので、寄ってみました。
映画の世界ですが、昔はここまでは、馬車で行ったのでしょうが、歩くと結構な距離です。現代の観光客はひたすら歩いて。
ヴェルサイユのオランジュリーの庭、上から見ると、本当に素敵。この写真は、午後10時30過ぎ。
ツアーのみなさんとこの時点で、はぐれ始めてしまい。私は、花火の見えるところでウロウロ。
左側にちらちと見えるトピアリーのシルエットがかわいい。中央の大きなオブジェは、アーニッシュ・カプアの作品。大きい〜
花火にはカラースキームがあって、すべての色のトーンが揃っています。
とてもエレガントな感じがしました。宮廷音楽に合わせて花火があがります。
花火が終わったのは、12時近い深夜でしたが、幸い、宮殿のすぐ横にホテルがあったため、全員無事にホテルに帰着。
あ〜。ヴェルサイユ。もう一度、行きたいです。カプーア作品が全部見られていないし。
June 27, 2015
モネの庭のバラのアーチ、その形が美しいですねえ。これもクロードさんがデザインされたのでしょうか。個人宅としては大きめのアーチですね。
6月23日。私たちが訪ねたときは、バラとアリウムがきれいに咲いていました。
驚いたのは、人の多さです。中国からの団体。もちろん日本からも。そして、アメリカの団体もごっそり。大型バスがたくさん止まります。モネの没後、一旦衰退したこの庭に資本を入れたのはアメリカの富豪でしから、そこには感謝です。
室内を見学するのに、かなり並びました。以前は撮影禁止でしたら、今は撮れるので人の流れを待ってすきに写真が撮れます。嬉しかった!
屋外の窓の外の緑が、食器棚や額縁のガラスに反射してとてもきれいでした。
さすが、画家のインテリア。絵にる色彩計画があって、すてきです。
モネの庭に行くということは、パリにも行くかと思うのですが。
と、いうことは、パリにいる以上は、必ず寄りたいオランジュリー。モネの作品でもある庭ですが、それはさらに絵画作品を見ることで感受性の幅を広げることができます。
(チュイルリー公園の花は、まだ、これから。という感じです)
オランジュリーは、ルーブル美術館もあるチュイルリー公園の一番端っこにありますが、
そこには、庭の本ばかりを集めた「ル・ジャルダン・リブラリエ」もあり、
その建物の繋がりに、ル・ノートル先生の銅像もある。庭愛好家にとっては、パリのなかでもマスト・ビジット。ではないかと思うのです。先生とツーショットできますー。
睡蓮の連作のための部屋へ。ワクワク!ここは比較的に本当に絵が好きな人が多く。観光客も、多いことは多いけれども、ルーブルほどではないので、朝一番にくればリラックスして過ごせます。
草花だけでない水と光と。この色彩に囲まれて、幸せ!
光の変化で本当にこのような見え方のすることもあっただろうと。想像をします。
やっぱり、ジヴェルニーを見たら、絵のほうも、同時期に見ないとね。
実際にジヴェルニーを訪ねた時は、曇り空でしたが、晴れた日の朝夕は、本当に素晴しいのではないでしょうか。
ぱっと見て脳裏に映る色彩以外に、物事の裏や脇に秘められた微妙な色調など。ちょっと曇った日には、見えにくかったですね。でも、ずっと見ていると見えてくるのよ。
モネの庭。すでに何度か、書いたのですが、わりと、思いつきっぽい感じで花が植わっているので(日の当たらない隙間にペチュニアとか)どうも納得できないのですが。写真では、絵になるところしか撮ってない。絵になるように撮ってしまっているので、いい感じにしか写ってないのですが。
なので、初めて来たときから感じていたモネの庭の植栽の違和感は変わらないのですが、今回ようやう気づきました。モネ先生が、きっと、そうやって結構思いつきで、好きなように植えたんならそれもありかと。その感じを表しているわけね。と。
そうして、あちらこちらで、たくさんの花が咲いているので、どうしても、そちらの方に気が取られます。
でも、実は周囲の自然な景観が素晴しいです。
今風の植栽で、コンテンポラリーの庭。モノトーンで、計画的で、モネの庭とは対称的なのがおもしろいです。カフェやレストランあり
。知ってたら時間をここで取ったのですが。
このあと、ジャルダン・プリュムのアポイント。そして、バラの村へ。
ジャルダン・プリュムとバラの村は、また後日に...。
June 26, 2015
自宅に戻れたので早速、最速の環境で写真をアップを。ところがすっかり長く書いたのに操作ミスで、消えちゃいました。ときどきやってしまう失敗です。でも、何を書いたのか忘れてしまって...。
さて、オールドローズの最盛期は過ぎていましたが、見事な仕立てが素晴しいベルエポックのライレローズ。オールドローズを見るなら6月初旬まで。10日までだったでしょうか?なかなか難しいですね。花のタイミング。でも、みるべきものは花だけではありません。この庭を作ったロザリアンのセンスと情熱。11000株、2900種のバラ。でも、それだけではない、このバラをどう活かしたか。それは、見始めたら一日あっても足らないですね。
景色を見て、個別のバラを見て、仕立てのディテールを見て。その忙しいことったら!
わーーーやっぱりきれい!ブラッシュノアゼット系が目立ちました。
剪定枝を使ったツルバラの仕立て止め。剪定し終わったツルの棘を取ったものを使っているのかと話題になっていましたが、これはマネをしたい技です。
ライレローズをあとに、サンドイッチを持って、やはりルノートルの設計によるソー公園へ。
庭のリカバリーのドキュメントがありそこにトピアリーのプロセスがありました。
参考になる!
トピアリーと花のコンビネーション。フランスならではの世界!
その後トワルドジュイ博物館へ。室内装飾の情熱に共感を。色使いすてき!
ヴェルサイユに戻り、まずは、最初にプチ・トリアノンの前まで、バスでそのまま直着!
通常は、ベルサイユの最初のエントランスから歩いて30分くらいかかりますので、無理を言ってバスで入っていただきました。(旅行社のほうに、交渉で、お金で解決していただきました)
少し朽ちかけたパーゴラに絡むツルバラ。ロマンティック。
王妃の寝室。最初はデュバリー伯爵夫人。その後、1777年から1789年までマリーアントワネットが使った部屋です。バラと花尽くし。
どこをみても、花尽くし。すてき!
一番下のお嬢さんは生き残ったのでしたっけ。末路を思うとドラマチックな強い印象を残す絵画です。
それにしても、重そうな頭部です。
王妃の村里。修復を繰り返し今はなんだか、テーマパークのようです。
ヴェルサイユの見応えは、オランジュリー前の庭とこのゆなパルテール花壇とトピアリーと噴水にあり。
今回は特別にルイ14世没後300年イベントでこのような催しも満載。私たちも夜から始まる宮廷風音楽イベントに見学に行きました。
やっぱりカプーア作品、素晴しい。圧倒的な力があって。現代美術と300年前のルノートル、素晴しいコンポジションです。
June 25, 2015
すてきなみなさまとのフランス旅行が、無事、終わりました。
毎回開催するオートクチュ−ルの「花の旅」。
旅行者の方は、私の細かいリクエストに全力で答えてくださるので、さまざまな花の庭に効率よく回ることができて、贅沢な旅でした。
オールドローズは現代バラよりも、開花が早いので、今年の天候では、オールドローズの最旬は過ぎていましたが、20世紀以降のバラはほぼ最盛期でした。宿根草の最盛期を見たければ、もう少し後がいい。
毎年開催している「イングリッシュ・ガーデン」宿根草の花盛りの旅は、7月初旬になります。
モティスフォントアビィのバラ園は、今が最高だそうです。(コメントでいただき、ありがとうございました)
だいたい、6月25日ころまでが最旬といえます。
どこをとって、何を見るためにどの時期を選ぶか。花の旅は、そこが肝心なんですね。
さあて、飛行機のチケットの都合で、私はみなさまよりも一日遅れての出発。本日の(6月25日)フランス時間の夜9時の飛行機に乗って帰りますが、私自身も、幾つかの紛失物とか、タンスの角で頭をぶつけた。とか、微妙なアクシデントはあったものの、どうにか、無事に帰国できそうです。
パリのテロの心配は、どこふく風というふうですが、あれ以来治安が良くなった感じで。物乞いなどがめっきりいなくなった感じでした。
たくさん見に来てくださっているのに、写真のアップロードができなくて、本当にすみません!!!
帰国したら、頑張っていきたいと思います!