単植 VS 寄せ植え
いつもみなさまの、嬉しいコメントありがとうございます。忙しくても拝見するのを楽しみにしています。仕事先の移動中によく、i-phone で見ています。連休まえは一日あたり1700アクセス以上もいただいていたのに、更新できなくて心苦しい日々が続いていたので、連休中に書きだめします。このあとすぐ、国際バラとガーデニングショウなので。終わる18日ころまでは、まともなヒトじゃなくなる。
昨日、意味あるコメントをいただきました。
「寄せ植えがとっても苦手です。^^;どれか一つが伸びてしまったり、管理がやりずらくて大体、単植えの寄せ鉢をしてきました。一時期は綺麗だけどどうせすぐ分解して処分しちゃうんだろう、なんて考えてました」
Cさんからのコメントです。一緒に添えていただいた、嬉しいお褒めの言葉は省略しました。許されて。
私はCさんの考え方は当然だと思います。特に、私が苦手なのは、たくさんの寄せ植え作品が一カ所に並んだ景色や、周囲の景色がゴチャゴチャしているのに、そこにまた複雑な寄せ植え。家の空間は限られているので、すっきりと片付いた玄関に一つ置くなら意味があるのですが、ゴチャゴチャするなら置かない方が良い場合も多いです。
寄せ植えは「背景の景色」とどう調和するか。ここが「育てた花を素敵に見せる」ポイントなので、きれいに繁茂する植物を「単植」をしたほうが、すっきりとした美しい景色の作れることも多いものです。時間の経過で、どれかひとつの植物が伸び過ぎたりとか、姿が乱れやすいとすれば、それも最初から避けた方が得策。
最新の拙著「寄せ植えの作り方・飾り方」(主婦の友社刊)では、その点に対する私の問題意識も盛り込んで、年末の数週間、魂を削って編纂、原稿書きした実用書ですが、パラパラッと表面的にめくって眺めただけでは、その本意が伝わりにくいかもしれません。大方のページは、これまでの10年間に園芸ガイド誌で掲載してきた寄せ植えの写真が使われているからです。
先日、このブログのコメント欄にも「寄せ植えの作り方・飾り方、これまでの雑誌で見た事のある寄せ植えばかりでがっかりしました」と、がっかり感想文も戴いています。でも、買ってくださり、ありがとうございました!
さておき。本を作るという作業にも、いろいろなスタイルがあります。ムック的な本ですと、一瞬で消えてしまう雑誌の記事を本という残る形に編纂し直すところに大きな意味があるので「他の雑誌で見たことがある」といった一面的な捉え方で終わってしまうと、その先に深く掘り下げてある作家の意図が伝わっていないことになるはずで。
それはとても残念です。
特に、文章。雑誌の場合は、軽く説明して終わる場合がほとんどです。文字数が限られているし、かんたんに説明して終わる場合がほとんどです。ところが、本の場合は、真意が書き込める。そこのところをじっくりと読んでいただけると嬉しいです。ガーデニングの、私の最初の本がでたのが1996年。あれから、15年が経過して10冊以上の本がでました。本に使われる写真は再利用のものがあったとしても、実は本全体に込められた「新しい魂」は、その本のなかにしっかり入魂しています。やはり、文章を理解していただくことに本当の「伝えたい事」が込められています。
究極は「日本の景色が美しくなりますように」イギリスで学んだことは、ガーデニングという手法を使って住まいや街を美しく彩るコツ。ところが、寄せ植えにしても、普段のガーデニングにしても、気を抜くと庭や玄関先が「園芸ゴミ」みたいな景色になりがち。なので、単植えは、むしろ、すっきりとした美しい景色作りには良いことだと思っています。
でも、反対に「寄せ植えの醍醐味」もあるので、そこはまた後日、ディープに書きたいと思います。
ここに入れる写真は、また後で探していれますね。今日も雑誌3冊分の原稿書きをしつつ、タネマキもしつつ、鉢あげもして、子どものご飯を作って洗濯して掃除して、はあー。明日は、京成バラ園さんでトークショウ!