超現実主義展と岡本太郎展
誤解を恐れず言うなら、センスを磨くのにうってつけ。美術館巡りは本当に楽しい。感受性全開でビリビリ。文字通りの充電になります。
3月の開催開始以来ずっと行けず、ついに今週終わってしまう!と、息子と二人で都心へ。精神の糧である美術館、彼が行きたいのに連れいていけないとは、親として情けない。人ごみギライですが、この連休で行列の覚悟を決めてシュールレアリズム展と岡本太郎展に行った。でも、いやもう、本当に行けてよかったです。行きました? 感動! 久々に素晴しい展覧会体験で鮮烈なインスピレーションを受けました。気づいたら手に汗握って、握りこぶしになっていました。(私、興奮してくると、私握り拳になるのです。ようっし!私もやるぞ!みたいな感じで)岡本太郎著、ピカソ談義他の著書にもでてくる氏が初めてルーブルに行ってセザンヌを見た時やピカソの絵に出会った最初の日の興奮そのままの、魂が揺さぶられる感覚を久々に味わった。
私は独身時代から岡本太郎先生の、絵画というより、むしろ著書のファンでした。今のブームはなんだかなあ。と、思うところもあり、私の知る限り、ご存命中の8〜90年代は、世の中はあまりにも理解していなかったと思う。パリ在住中はソルボンヌの哲学科にいたり、ピカソやマックス・エルンスト、写真家のブラッサイなんかと日々交友関係にあった超インテリの芸術家で、私たちは若い日々に「今日の芸術」や「青春ピカソ」を心の糧にしてた。余談ですが、その繋がりで岡本かの子を描いた瀬戸内晴美著の「かのこ撩乱」も.読んじゃった。かのこが太郎を柱にくくりつけて執筆に集中するさまに共感しつつ、私にはできない作家の執念にあっぱれと思ったり。(私はよく息子を自分に抱き合わせに縛り付けて寝かせながら夜中に執筆してたけど)今はその息子と一緒に美術展に行けて嬉しい。今12歳。中学生までは、入場無料です。
ちなみに、たまたま本棚の隣にあったので、厚顔でご紹介を『イギリス的「優雅な貧乏暮らし」の楽しみ』(集英社刊)が好評重刷。これで、10刷りになり、累計発行44000部となりました!695円と手軽な値段で内容充実の単行本!ミリオンセラーには及びませんが、利便性や生産性の向上だけが人生の喜びではないことを伝えたかった、不況にぴったりの一冊です。どうぞよろしく。
失礼しました。話題を戻します。
展覧会のインスタレーション自体も大変よかった。迫力ある見応えの見事や、作品の背景の色調にいたるまで。
岡本太郎展は入場制限もあり、入るまでに30分以上も並ぶほども混んで、通称ガチャガチャと呼ばれる一個400円のアートフィギュアを買うだけでも凄い列だった。息子が欲しがるので、最後の50個ですー。という叫び声におびえつつ並んだ。でも、これは嬉しい!(写真上)
けれども、それもこれも混んでいることを嬉しく思った。こうした文化事業が黒字になれば、もっともっとこれからも、良い展覧会が催されるはず。今度の国バラも混んで欲しいと願う。混み合うのは不快だけれど、展覧会は混み合って欲しい。じゃないと、次が続かない。
震災以降でこうしたアート(超現実主義や抽象絵画)に注目が集まることも時代の特徴。大きな意味があると思う。90年代には注目されなかった独特の潮流が、今まさに大きなうねりになっている。そのことにも、今の時代独特のエネルギーを感じるし、次の仕事の大いなるヒントにもなるものです。
来てます。超現実主義。
来年の国バラのデザインもここで思いついてしまった。(来年できるかどうかは、いつもの事ながらわからないけれども...)
ところで、ポンピドウセンターの超現実主義展は、おしゃれ。20世紀前半のパリのアートの香りに心身を漬け込みました。かたや太郎展は土俗的、民族的な情熱の雄叫び。私の父も民俗学系のアーティストでしたので、太郎先生と似たところがありました。懐かしさで心情が熱くなっていくのを感じた。
展示の出口で、もれなく「太郎のことば」が三角くじみたいにピックアップできます。これはまた素晴しい企画アイデア。
ここにまた今の自分にぴったりな「太郎のことば」が...。
ここでも泣けてしまった。
上は私の。
下は息子が引いた「太郎のことば」
とにもかくにも、非常にエモーショナルな展覧会でした。息子にも、もう一度同じ作品を見たいとせがまれた。ああ、でも、もう今週は無理。
こんどは川崎と青山の太郎美術館も行きたい。