十人十色、自分らしく。
先週閉め切りだった日経 priv 「価値観の変わるとき」は、4日ほど、唸って文章を書いた。最初は、生き方やファッションがテーマだったけれども、なんども書き直して結局イングリッシュガーデンの話に。
25日が締め切りのクロワッサン・プレミアム10月号。テーマは「私を救う(または、救った)言葉」の投稿。何を書こうか悩んでいて、書きたいことがありすぎ。私、誰かの言葉に救われることがたくさんあるからです。
それで、どれにしようか。凄く凄く、迷って。また、妙に時間がかかって。で、救われるというのとも違うか、いえ、いえるか、迷いますが、今、一番私にとってビビッドなひとことがこれ。
大切なことはひとつだけ。
明日の朝、もしも目が覚めなくても、
後悔しないと思える今日を送ればいいのです。
「花言葉」美輪明宏(PARCO出版)より。
震災以降、明日の運命は解らないな。と、思うようになった。東京大震災の可能性は常にあるらしい。だから「備えよ常に」は正論です。
それで、子どものことは自分なりに精一杯やっているし、ほかのいろいろも必死のつもり。たまに、頑張りすぎといわれるけれども、集中力全開の時は、一生懸命しかない。と、思う。
でも、後悔しない今日を過ごすために。と、考えると、自分の欠点というか、そういうものが気になりだした。たとえば、整理整頓が苦手。そして、日々溜っていく、生活の澱って、50代を過ぎると、本当に要注意です。気づいたら「え?」ってほど。
明日、目覚めなくても、澱の溜った暮らしは避けたい。と、強く思い始めています。でも、う〜んモノが多いし、植物も多いし、こりゃあ、気合いを入れて減らして行こう!って、「断捨離」の本も駅のキオスクでたまたま、長距離の電車に乗る前に買っちゃった。(テヘヘ)
問題は、「他者からの依頼で受ける仕事」で必死な毎日。自分のプライヴェイトがそのしわ寄せに悩むのは、仕事をしている人なら誰にでも経験のあること。誰かに頼まれた以上は、必死でやる。私が逆なら、必死でやらない人になんて、仕事、お願いしないもの。そして、できないことは断ること。
さて、日々、楽しい、内容の濃いコメント、たくさん頂いてます。ありがとうございます!!!コメントメンバーが定番化して、あれ? 最近あのひと、コメントくれないな。なんて思うこともあるほどですが、hirokot さん凄い。借金してレアな英国の公開ガーデン見に行かれたのですね! 逢ってみたいと思う。yum さん、浪費さん、電池切れさん、みなさん、ありがとうございます。あ、そうだ以下のコメントをくださった chao さんは、おいくつくらいの方でしょうか?同世代かしら?
経済活動としての仕事以外の「仕事」(それって人間的な意味での本当の仕事かも)に価値や意味をちゃんと見いだして行きたいものだと思う次第 すごーく納得できるのですが、ちょっと気合が入りすぎているような気もします。最近の私は、サクサクっと、ふわっとこなしていきたいと思っています。
それもありです。こういうご意見も歓迎。でも、私は私。90まで生きられたとしても、一生懸命に気合いが入り過ぎとかいわれるほどの生き方をしたいな。(希望は希望)普段から(岡本太郎先生みたいに心の目を剥いて)気合い入れないと、実はダラダラしたい自分もいる。まあ、いろいろな考えがあるので良いのでは?と、思います。みんながみんなガッツリ、ディープじゃ、人間社会が掘り尽くされてしまう。そのひとのペースでサクサクっと生きるのもよし、ガッツリとやるもよし。いろいろいるのが一番いい。
なので
明日の朝、もしも目が覚めなくても、
後悔しないと思える今日を送ればいい。
としても、それぞれに考えがあったら良いでの慌てることもない。そして、自分の考えを語れるというのは、とても良いことだと思うのです。
写真は、ロンドンの自宅で夏に撮影したエリンジューム。老後は、花にこういう光が当たって、夏が涼しいところに棲みたいなあと思うのですが。