好きが多いは幸せ
ときに植栽だけではない、庭の表現の魅力にも出会っていきたい。
でも、繰り返しますが、やはり草花の魅力を活かした庭が好き。それらを総合して、庭をいかに作るか。
「そんなにグラグラしてちゃ、いい庭なんて作れるわけないでしょ」とコメントをいただきました。
文面からは、ちょっとした悪意か敵意も感じましたが、どんなコメントもチャンス。普段から私が思っていることを書くのに、良いチャンスをいただきましたので、取り上げさせていただきます。
ちなみに、私は植物の入っていない庭を見学するのも好きです。そういった作品との出会いを、自分の庭作りに活かす。ということがこの方には伝わらなかったのでしょう。
こういうことを書くと、必ず味方派が「大丈夫ですよ〜!」「最初から理解してますよ〜」とかコメントをくれるので嬉しいのですが ( ありがとうございます!)、私にはいろいろなコメントをいただくことも、いいチャンスです。
世の中はいろいろな人がいて、いろいろな考え方があり、またそのいろいろなアイデアを換骨奪胎していくのも、人生の面白さだと思っています。それがデザイナーの楽しみ。いろいろなもののミックスも、自分らしさに繋がる。なので、私はグラグラしていませんが、若いころは迷ってもいました。
世の中は「二兎追う事」を許さないような面もあるようです。「どっちか」片一方のほうが理解しやすいし。人は自分が理解できないことに対して否定的になります。「いったい、どっちなんだ!」といわれたら「両方大事なんだよ」と「お父さんとお母さんどっちが好き?」変な質問ですが「どっちも違った意味で好きだ」と、答える知恵が、子どもにあれば良いのですが、無責任で困った質問です。
洋服か和服か、ではなく両方素敵に着こなす人には憧れる。和庭も洋風も両方できるガーデナーがいれば素敵。私は、日本庭園を自分流に作ってみたい。去年のバラショウはモダンだったけれども、来年はデコラティブなヨーロピアンを計画中。いつか、日本庭園を自分流に作るチャンスがくるとよいのですが。
モダンもクラシックも好き。ミニマリズムもデコラティブもデカダンスも業務用も好き。テイストが洗練されていれば、どんなスタイルでも好きです。今の家も、外観はモダン、内装はモダンクラシックです。両方を混ぜてあります。好きな塩梅に。二兎卯追うものは一兎も得ず。ではなく、さまざまなエレメントを総合するのが私流。なので、仕事の場面では、それぞれのニーズに合わせて表現方法を変える。
でも、25歳くらいまでは、モダン&ミニマリズム以外は、大きらいでした。
子ども時代から、家を作るならどんな家がいいか、ずーっと、考えていました。学生時代は建築家、槇文彦さんに自宅を設計してもらうのが夢、と、思っていました。夢は勝手です。
でも25歳の時にヨーロッパを3ヶ月放浪旅行して、その考えが変わりました。
過去の建築家の中では、ミース・ファンデルローエがもっとも好きな建築家であることには、今も30年以上前から変わらないのですが、25歳でヨーロッパの古典建築を見たときの衝撃は、今でも言い表せない感動でした。
今、見たいのはチェコの古典建築と、ペーター・ズントーの作品です。ペーター・ズントーの作品を見るツアーがこの夏あったそうです。参加した方がいうには、全員女性だったそう。凄い世の中です。何度か書いたことがありますが、建築は庭も含めた芸術の中の頂点だと思っています。建築のなかに絵画や彫刻が入り、庭も付随する。庭だけが野原に単独にあるというのは成り立たないからです。
オーストリアはウィーンを旅すると、世紀末’ゼセッション派’のインテリアに憧れました。色々憧れて、困ったなと、思うこともあり、どうするの?と、若い頃はこんなに色々好きでいいのかなとも思っていました。我が家にはその時、夫がウィーンで買った椅子がありますが、案外今の我が家に似合っています。
さて、私も半世紀以上も生きてきた。なので、若い人たちには伝えたい。
「好きが多いは幸せ」(これ、私の造語です)
これは、美輪明宏先生の人生の「人生、多角経営のすすめ」にも繋がります。今、夢中で寝る前に読む本は曽野綾子さんの「自分の始末」先日のパーティで見つけました。
何十年かかけていろんなものを好きになって、研鑽を重ねて、5〜60歳くらいから本気で表現すれば良い。
子育てが終わったり、定年退職をしてから本当に好きなことをする人は幸せだと思いますが、それには様々の「好き」が必要。
そうしたことを全身全霊といえば、大げさに聞こえるかもしれませんが、自分は何が好きなのか、真剣に考えて生きてきました。その上で、自分が表現するのに、今の時代や気分に、もっとも即したことをデザインする。
子ども時代はバウハウス派の父の影響で、モダンなものだけが美。と、思っていましたが、西洋の本物のデコレーションを見てから視野が広がり、京都に行けばまたその美しさに惚れ惚れし、いろいろな良いものを見て「モノを見る目を耕す」のです。
ミニマル1点張りの素敵な友人も知っています。それも好き。デコもミニマルも両方好きな友人とはさらに気が合う。
そうしたものが、その人の生き方そのものを広げるのです。食べ物の好みなども、和洋中華エスニック、なんでも美味しいものは好き。という人のほうが、いろいろなことに肯定的で幸せな感じがする。
私はガーデニングも、手芸も、インテリアも、ファッションも、アート全般も、食べ物のことも、旅行も、あらゆるものが大好きですが、映画サウンドオブミュージックの「フェイバリットソング」が人生の根底で自分を支えている気がします。
また、園芸は「栽培方法」も「飾り方」も両方大切。片一方だけではダメ。でも、私は英国の園芸に出会い、飾り方の大切さを伝えて行こうと思っています。
「地球上は僕らの知りたいことで満ちている。しかし、困るのは才能の欠如です。僕に言わせると知りたいと思わないのが才能の欠如なんだ」曽我綾子さんの「自分の始末」より。面白い本に出くわすと、当分影響受けています。
明日は新幹線で本を読みふけり。名古屋ハウジングセンターへ。私の作った寄せ植えのプレゼントもあります! http://kasugai.nha.or.jp/event.html