BABY.....
心に触れる文章、コメント。たくさん頂き、ありがとうございます。
それぞれのお気持ちに、お返事を書けない自分は心無いことをしているような気もして、切ないです。
それに、こんなに素敵な文章、普通に古い友人とのメールのやりとりでも、もらうことありません。しっとりとした情感のある、素敵な文章を書いていただく事が多いので。
「文章が長いと退屈」とのコメントも頂きましたが、そう思う方は飛ばしていただきたく、先へ。
先日は、妊娠11週目、39歳の妊婦さんから。
お母様と過ごした秋の庭の、おそらく、そんなにのんびりとした庭の時間が取れるのは、当分お預けの...。美しい秋の一日の情景が描かれていました。お母様と庭に球根を植えた事をなによりも幸せに感じたそうです。
実は、今日
が息子の誕生日で。20年前の一昨日が父の命日。私も父を失った時の事や息子の誕生前後の事を思い出していました。そして、孫の誕生を半ば諦めていた母の喜びようのことも。いずれも凄いお天気で。11月って、悲しいくらいに空が青い瞬間がありますね。
しかし、子どもが生まれてからの数年間は、息つく間もなく、秋に球根を植えるなんて、とてもできませんでした。
なので、球根を植える行為は、暮らしのゆとりの証しだと、思えてなりません。
それから、ベビーが生まれてからの数年は、私は妙にいつも孤独でした。あの頃、それまでの友人ともそりが合わなくなって。それで、赤ちゃんと二人だけでいると、却って孤独のどん底に落ちるような気もしていました。あの不思議な感覚はちょっと説明ができないのですが。
実家も離れていたので、仕事も休めない状況で、昼は保育園以外に頼るツテもなく、よく真夜中には授乳しながら仕事していましたっけ。
で、50代半ばの今、あらためて赤ちゃんへの思慕が自分の中から溢れるときがあります。あるいは、赤ちゃんはみんなかわいいなあ。と、思う気持ち、と、いえば単純すぎますが。
そんな気持ちを今、人形作りに託して、なにか、女性としての母性の埋め合わせのような感覚を味わうのです。また、子供の頃人形遊びにのめり込んでいましたが、あの感覚は何だったのでしょうか。
私は、お人形(バービー)で、よくストリーを作って遊んでいました。バービーのお父さんがしょっちゅう熱病で死んじゃっていました。話がそれるので戻しますが。
そこで今、自分がフェアリーを庭に置いてストリーのある写真を撮るのは、それにも近い、どうも先祖帰りみたいな感覚を味わうのです。
自分の泉の底の方から湧き出るようなエネルギーで作るフェアリー、やはりすごく不思議な衝動です。だから共感してくれる女性が現れると、凄く嬉しい。
そして、特に子どもを産んでない方や1〜2人しか生んでない少産の女性(私)へ。子どもを多産するゴージャスな感覚をクラフトで味わうのよ、というと笑われてしまいそうですが、母性は、女性なら誰もが、少なからず何かしらの形で持っていると思います。それを表現するのは、ガーデニングでもボランティアでも何でも良いのですが「育てる感覚」こそは私が30代以降からずっと探していた生き甲斐の証しなのです。
さあて!今日は自由が丘のイシスの庭に半年ぶりのデザイン管理。六本木のボタニカは大人になり、手の離れた子どものようですが、イシスは半年に一度はまだ入るので、ハイティーンの子どものよう。
庭も自分の子どもも、気になるのは一緒です。なので、放置すると、かなり心配。
それぞれのお気持ちに、お返事を書けない自分は心無いことをしているような気もして、切ないです。
それに、こんなに素敵な文章、普通に古い友人とのメールのやりとりでも、もらうことありません。しっとりとした情感のある、素敵な文章を書いていただく事が多いので。
「文章が長いと退屈」とのコメントも頂きましたが、そう思う方は飛ばしていただきたく、先へ。
先日は、妊娠11週目、39歳の妊婦さんから。
お母様と過ごした秋の庭の、おそらく、そんなにのんびりとした庭の時間が取れるのは、当分お預けの...。美しい秋の一日の情景が描かれていました。お母様と庭に球根を植えた事をなによりも幸せに感じたそうです。
実は、今日
が息子の誕生日で。20年前の一昨日が父の命日。私も父を失った時の事や息子の誕生前後の事を思い出していました。そして、孫の誕生を半ば諦めていた母の喜びようのことも。いずれも凄いお天気で。11月って、悲しいくらいに空が青い瞬間がありますね。
しかし、子どもが生まれてからの数年間は、息つく間もなく、秋に球根を植えるなんて、とてもできませんでした。
なので、球根を植える行為は、暮らしのゆとりの証しだと、思えてなりません。
それから、ベビーが生まれてからの数年は、私は妙にいつも孤独でした。あの頃、それまでの友人ともそりが合わなくなって。それで、赤ちゃんと二人だけでいると、却って孤独のどん底に落ちるような気もしていました。あの不思議な感覚はちょっと説明ができないのですが。
実家も離れていたので、仕事も休めない状況で、昼は保育園以外に頼るツテもなく、よく真夜中には授乳しながら仕事していましたっけ。
で、50代半ばの今、あらためて赤ちゃんへの思慕が自分の中から溢れるときがあります。あるいは、赤ちゃんはみんなかわいいなあ。と、思う気持ち、と、いえば単純すぎますが。
そんな気持ちを今、人形作りに託して、なにか、女性としての母性の埋め合わせのような感覚を味わうのです。また、子供の頃人形遊びにのめり込んでいましたが、あの感覚は何だったのでしょうか。
私は、お人形(バービー)で、よくストリーを作って遊んでいました。バービーのお父さんがしょっちゅう熱病で死んじゃっていました。話がそれるので戻しますが。
そこで今、自分がフェアリーを庭に置いてストリーのある写真を撮るのは、それにも近い、どうも先祖帰りみたいな感覚を味わうのです。
自分の泉の底の方から湧き出るようなエネルギーで作るフェアリー、やはりすごく不思議な衝動です。だから共感してくれる女性が現れると、凄く嬉しい。
そして、特に子どもを産んでない方や1〜2人しか生んでない少産の女性(私)へ。子どもを多産するゴージャスな感覚をクラフトで味わうのよ、というと笑われてしまいそうですが、母性は、女性なら誰もが、少なからず何かしらの形で持っていると思います。それを表現するのは、ガーデニングでもボランティアでも何でも良いのですが「育てる感覚」こそは私が30代以降からずっと探していた生き甲斐の証しなのです。
さあて!今日は自由が丘のイシスの庭に半年ぶりのデザイン管理。六本木のボタニカは大人になり、手の離れた子どものようですが、イシスは半年に一度はまだ入るので、ハイティーンの子どものよう。
庭も自分の子どもも、気になるのは一緒です。なので、放置すると、かなり心配。