3/18 ファリー教室
昨日は、池袋コミュニティカレッジにて、フェアリー作りの教室。九州や東北からも、お集まりくださり、本当にありがとうございました。
昨日は、午前10:45にカレッジ入り。有志のお手伝いも戴きつつ、終日緊張して自宅に帰ると21:00でしたが、その後少しだけ家のことをして爆睡でした。
(写真上、フェアリーの顔は、左/お化粧っぽい顔と、右/淡く入れて、妖精の世界に近い感じの表し方を説明するもの。今回は、これらの顔も販売しました。お買い上げありがとうございました)
さて、作り方教室。準備は去年からず〜っと続けてきて、ここ数日も時間を割きに割いて準備をしてきましたが、う〜んこれ以上の準備はもう、無理!と感じるほどの時間をかけて準備をしたのに、なんだかまだ足らなかった!という気がしています。あー、34名の方々に、すべてをお伝えすることは出来なかった気もしています。これからも、時々、このブログで内容を補充しますので、ぜひ見て下さいね。
去年の12月のブログにも書いていますが(12/7)フェアリーはちょっと特別です。
手作りした作品は、あっという間に過ぎて行ってしまう時間を形に残し、思い出を固形化し、なおかつ、自分の魂の面影さえも残すことができる。という点で、ただの「物」を手にいれるのとは違うと思っています。でも、あるところで、フッと、それを処分の時が来るのも人生。そういう思いに縛られないで、自由であることも大切だと思っています。気持ちに縛られない事。驚かれるかもしれませんが、私、制作に失敗した人形は「またね!」あっさりと捨てます。こちらが気持ちを残すから残るのであって「またね!」と挨拶をして、あっさりとお別れするのは、姿を終えようとする植物とのお別れにも似ています。だめになっているのに、山積みにするのはもっといけないと思うし。話は違いますが、画家モネは自分の作品を随分焼き捨てていたそうです。今、現存するのは彼の納得のものだけ。私はそこまでいかないけれど、やはり、ダメなものは処分。でも、70点くらいのものは活かせるよう努めています。100点じゃないところが緩いですが。
いつでも何をするにも、そこに当てはまる言葉を付記していくと、自分自身の形成にも繋がりますよね。いくつになっても言葉ありきという事でしょうか? 沈黙の思想について考えさせられた、吉本隆明氏が亡くなり(ご冥福を...)、久々に氏の本を読みたいと思っています。
さて、次のコミカレの講座は9月で、それまでにはまた私も研鑽を積んでバージョンアップしたいと思います。9月のコミカレには、7月行く予定のパリで飾りのアクセントを探す予定です!