オランダが素敵!
ガーデニング・セオリーの世界一、といえば、間違いなく、イギリス。
でも、世界一の植物の流通国といえば、断然オランダでしょう。
(写真はオランダの球根農家にて、球根おじさんと意気投合。オランダ人おもしろいです。好きです)
この仕組み、いつ頃できたのでしょうか? もしかしたら、球根の価格が大バブルを起こした中世から綿々と続く歴史なのかもしれませんね。
チューリップの歴史。紀元前の時代、原種の真っ赤なチューリップが荒涼とした天山山脈の丘や谷間に群生していた姿を想像すると、思わずそれを掘り上げ持ち帰った人々の気持ちがわかります。チューリップは時期を選べば遠くまで運べるし、野生種は耐寒性に優れ、痩せた土地でも育つので、それが有史以前から移動や交易を続けていたトルコ系遊牧民や商人たちにより、交易路を渡り中東へ移動したと推測される。隆盛を極めたオスマントルコの宮廷で最も尊い花であったチューリップは、16世紀になると園芸改良品種が千種類ほども作られたといいます。
ボスポラス海峡を渡り、ヨーロッパの庭にチューリップが咲いたのが16世紀半ば。17世紀になると、ヨーロッパの園芸技術が進歩し、珍種、希少種のチューリップが誕生。おりしもオランダが黄金時代を迎えた1630年代、庭園に希少種のチューリップを植えることが富裕階級のステータスとなったわけ。
そこでオランダを席捲したいわゆる「チューリップ・バブル」が始まります。
高騰した球根のたった一個の値段が、同じ時代に描かれたレンブラントの最高傑作「夜警」の3倍以上の価格になったといいます。最終的に多くの富豪を破産に追い込んだというこのチューリップバブルは、美に対するどん欲な所有欲と、金に対する博打的欲望が一気に燃え上がった結果とされますが、いまだに多くの謎が残されているそう。
これは、ミセスのオランダ特集に寄稿した原稿の一部ですが。
この、レンブラントの時代、球根一個の値段がアムステルダムの高級住宅の一軒に匹敵する価格だったといいますから。その価値観って何だったのでしょうね。(写真はアムステルダムの美術館にて「夜警」のスナップ)
今も、イギリスから直接輸入できない植物でも、オランダ経由でなら入ってくる。このあたりの仕組みに興味深々なのですが、この冬、さまざまな場所で大活躍した花付きのスキミア(シキミ)も、園芸店にでているのは殆ど、オランダから空輸されたもの。サリックス’ハクロニシキ’御殿がオランダに一杯建ったという話、ご存じ?90年代の話ですが。
園芸技術をセンスで凌駕してビジネスを成功させている国がオランダ、私たち、日本のガーデナーは、イギリスから、フランスからだけでなく、オランダからも学ぶべき事が相当あると、私は思っております。だからの、今年のオランダツアーのお誘いであります。
さらには、デザイン大国としてのオランダは、案外知られていないのでは? アムステルダム、グッドデザインに出会うチャンスも少なくなりません。(写真はミセス誌の取材で訪ねたアムステルダムの花屋さん)
いつだって美しいものに出会いたい。と、方々にアンテナを張り巡らす私としては、北欧もそうだけれども、北ヨーロッパの美意識には南ヨーロッパ(南仏とかイタリア)にはない、デザインの完成度を感じ、その大ファンでもあります。学生時代から信奉していたのは、むしろ北ヨーロッパ。南の魅力に気づいたのは中年以降の事です。素敵な庭もあります。
(↑写真はアムス郊外にて)花を愛する気持ちは世界共通だけれども、それをデザインにして完成させる能力は、イギリスを始め、ちょっと寒い地域のほうが頑張りやさんだなあと。日本は暑いけれども寒さも半端じゃないので、その辺りで両面性があるのですね。
それから、オランダは素晴しい美術館がいっぱい!写真は「クレラーミュラー美術館」の庭。ここのゴッホのコレクションがまた凄くて。美を自分に詰めこむ時間。やはり、美術館はその宝庫です。