今年の仕事・来年の仕事 /ゆく年来る年総仕上げ
2012年も間もなく終わろうとしていますね。
昨日のニューヨークは雪模様。ロマンチックでしたが、湿っぽい雪に濡れるのが嫌で、一日中 バーグドーフ・グッドマンで過ごしました。このデパートは空いてます。どこもかしこもおしくらまんじゅうのニューヨーク、じっくりものを考えることのできる空間は、ここと、バーニーズと...。BGデパートは、7階のインテリア雑貨を観てるだけで、10時間は飽きない。断言できる。そして、BGレストランも大好き。写真はBGレストランのテーブルからの眺め。
ここに陣取って今年を振り返ります。
さて、皆様にとって、今年はどんな年だったでしょうか?
あらゆる意味でますます難しい時代になってきているように感じます。夢を持つことさえ、難しいような。
でも、どんな状況でも、必ず突破口はあるし、夢は持てると思います。でもそれは漠然とした「タナボタ」みたいな夢じゃなくて、具体的な構想。と、言ったほうが正確かもしれません。
現状維持ではなく、新たな展開を見据える。ということです。状況打破は、そう簡単ではない、夢を実現するには、ちょっと厳しい。だからそれなりに、かなりハードな努力も必要。でも「一生懸命やる!」と、いう「気づき」さえあれば、なんとかなるんような気がしてます。
.で....今年、年の初めに、新たな夢を持ったのです。...夢じゃなくて、構想ですが。
庭の仕事と同時に、ファッションの仕事がしたいと。
大学生の時、プロのデザイナーになる前、最初のプロトタイプは、ニューヨークでした。70年代でしたのでね。当時存在したTWA航空のウイリアム・サーリネンの設計による JFケネディ空港が見たくて、一人ニューヨークへ。見た時は鳥肌でした。ゾゾゾゾーって。その後も、NYで建築とモダンアート行脚。ただ、当時はアートとデザインの違いも解らず、自分が目指すのは、その両方だとも思っていました。つついでにジャズが好きでアートブレイキーのライブも行きました。もうおじいさんでしたがカッコよかった。
(ニューヨークのタップウォーターは東京よりも美味しい!びっくりです。息子がミネラル味の強いエビアンなどの有料水が嫌いなので、もっぱらタップウォーター(水道水)に助けられてます)
さて、その時、ちょっと気付いたのです。本当は自分が目指したい方向は、実はヨーロッパかもしれないと。ニューヨークで気になるもののルーツが、どうもヨーロッパにある。
それ以来、50歳を過ぎるまで、視線はいつもロンドンかパリでした。
でも、新たに目指したファッション・ビジネス。
それには、アメリカが参考になる。という直感がありました。英国やフランスの、オートクチュールの伝統とは違う視野で服を作りたい。と。
そのことがあって、この冬、私はあえて、慣れて勝手のわかる大好きなヨーロッパではなく、もしかしたら苦手かもしれないニューヨークを選んだ。楽しいだけじゃない、新たな気づきの旅をしたかったから。
(ニューヨークの地下鉄、楽しい。ぎょっとするような方も乗っておられますが、あらら小人が柱をのこぎりで切ってますよー)
今年は、新たな仕事の元年でした。
大学時代、デザイナーとして生きて行くため、大学卒業後の1970年代の終わりからプロダクトデザインの仕事を始め、その後フリーランスに。無印良品のデザイン企画や資生堂のパッケージデザイン、ファッションブランドのTOKIO KUMAGAI のアートディレクション。広告ではないアートワークもスタート、舞台美術や衣装デザイン、同時にTVCFや雑誌、舞台、デパートのディスプレィワークを始め、その後、バブル崩壊の一歩手前に、渡英。
世の中が消費社会ではなくなったとき、人が求めるのは、モノではなく、心の安らぎや充足が優先されると思ったから。
それで、見つかった次の仕事がガーデニングでした。地に足のついた職業であり、花は永久に人々のアイドルである。福島の庭も楽しみにしてくださいね!
(時々、このコメント欄にも、どうやったら吉谷みたいなガーデナーになれるか質問を頂きますが、このような過程を生きてきたので、答えようがないのが実情です。すみません。私が信じているのは、自分らしく自力で探すほかないとしか、いいようがありません)
長らく私を支えてきた言葉があります。
「ガーデニングは、芸術表現である」
在英中、繰り返し英国人から聞いたこのフレーズ。その都度、ずっと暗唱していたけれども、この事を日本で通用させるには、難しいだろうと、内心思っていました。で、今もちょっと難しいですね。生き物でもあるし。
(どこも自分の作った庭は我が子のようです)
計画をしているときは、本当に夢中になります。もうスケッチのなかに完全に入り込む。
(このスケッチは、今回の渡米の1週間前に、描いていたものです。死に物狂いの仕事でした。来年のバラとガーデニングショウのスケッチを、今回、アメリカと英国の関係者のプルーフをもらうため、なんども、計画を練り直しました。普段なら2日もあれば描けるのに、5日ほどかけた)
(もう少しで完成....)その後、NHKのご担当プロデューサー経由で、プルーフをもらうため。イギリスとアメリカへ。
(写真はオードリーヘップバーンのガーデンめぐりのDVDです)
「ガーデニングは、ひとつの芸術表現である」
今も難しいと感じています。
「ガーデニングは、ひとつの芸術表現である」
料理だって、そうだと思います。特に、これは、日本やフランスでは、そうなりうる。実際に、大変にレベルが高いからです。
で、今年から強く思うことは
「ファッションもひとつの芸術表現である」
付け足すなら
「ファッションは、最大の自己表現」
すごくおしゃれな感じで歩いてる、知らない人を見て、拍手したいときがあります。
そこよー!
服の着こなしひとつで、その人が素敵に見えるということを、軽んじてはいけないと思う。
たとえ、親からもらった体型がイマイチでも。大丈夫。
流行は少し関係あって、あまり関係ない。古くさいのは困るけれども。その人らしく素敵だったらよい。「類は友を呼ぶ」素敵であろうと努力するほどに、素敵な友人関係も広がりその人の運命が開かれていくのじゃないか。
特に50歳を過ぎたら、自分の見た目に「大きく責任を持つべき」
「これからは、服だ!」この春先に私がサンローランのビデオを観て影響を受けた話。覚えていますか?本気でやりたいと思ったのは、あの辺りから始まっています。(知らなかった方はここをクリックしてね)
1992年に、「これからはガーデニングだ」と、ガーデニングの仕事を始めた時から数えると、丁度20年経った今、今後、リスクを負いながらも、命ギリギリで駆け回れるのも、65歳までの、あと10年と決めてきた。なので、今、最後のダッシュにかかろうと思っています。
私の最後の、そして「新しい仕事」、それが、ファッション・デザインの仕事です。(...ほかの仕事も、すべてこのまま続けて行くつもりです。ご心配なく)
さて、この8月以降、パリ、帰国後から、この服のデザインはその前までは、数年前からオファーをもらっていたイギリスのシャツメーカーとの共同プロジェクトを考えていました。が。なかなかスムースに進まなかったんのです。
そこで、新しい、素晴らしい出会いが大きく関係しました。日本のブランド、日本で製造する確かなクオリティは、1週間単位で、どんどんサンプルが出来上がって行きます。この数ヶ月は大変でしたが、それで、感動の連続でした。
あまりにも長くなるので微妙に割愛しますが。
(靴下、スカーフ、靴、バッグ、アクセサリー他も進んでいます)
最初は、シャツを中心に、スタートします。3月中旬。表参道、キャットストリートを渋谷方面に向かった神宮前6丁目に、路面店がオープンします。
ブランドとお店の名前は「 Shade Yoshiya Keiko 」です。ウエブサイトは来年早々開始予定です。これも私がもっと早く手を入れないと。
今年の8月から10着以上のシャツのデザインやテキスタイルデザインをしてきました。
今、ニューヨークにいるので、初めて描いた服のデザインスケッチが手許になくて残念ですが。
それを着るだけで、その人のスタイルがよく見えて、ヨーロッパやアメリカの最近の高級レストランが顧客に要求するところのドレスコード。スマートカジュアルを、一枚のシャツで、簡潔できること。
そこを目指しています。
今回の渡米の数日前、ずらりと揃ったマイ・デザイン(セレクトも若干あります)を見て、感無量でした。
ほんの3〜4ヶ月でここまで来たのですから。もちろん、アズノウアズ社の社長の貴重な意見、パターンナーのTちゃん、小物担当のI君、パソコンでテキスタイルのリピートをつける作業をフォローしてくれるNさん、パッケージデザインは、指定図を作ると、細かい立ち回りでTさん。版下作業にかかってくれるスタッフ大勢。などなど、たくさんの方々の協力なしにはあり得ない仕事でしたが、デザインの基本はすべて自分にあったので、これはもう、怒濤の、激しい数ヶ月を過ごして参りました。
(今日はよく晴れて、ハイライン、道が凍っていましたが、カッコいい場所でした。ピート・ウドルフさん。いいぞー)
.....いろいろ混ざって、散漫な内容でしたが、それほどに、多岐に渡った私の行動がこの内容を物語っているかもしれません。生きてる間に、いろいろやりたい。それが生きる原動力。
ぜひとも!みなさま。来年3月の神宮前のショップオープンをお楽しみに!
詳しいNEWブランドのフォローは今後も続けます。今は短い時間に、まずは、最初のお知らせと
少し早いけれども、A HAPPY NEW YEAR !!!! (年越しそばならぬ、年越しカップケーキとシャンパンを用意しました)
ニューヨークは日本よりも、14時間遅れて、2013年がやってきます。そのご報告はまた新年に!
ここに陣取って今年を振り返ります。
さて、皆様にとって、今年はどんな年だったでしょうか?
あらゆる意味でますます難しい時代になってきているように感じます。夢を持つことさえ、難しいような。
でも、どんな状況でも、必ず突破口はあるし、夢は持てると思います。でもそれは漠然とした「タナボタ」みたいな夢じゃなくて、具体的な構想。と、言ったほうが正確かもしれません。
現状維持ではなく、新たな展開を見据える。ということです。状況打破は、そう簡単ではない、夢を実現するには、ちょっと厳しい。だからそれなりに、かなりハードな努力も必要。でも「一生懸命やる!」と、いう「気づき」さえあれば、なんとかなるんような気がしてます。
.で....今年、年の初めに、新たな夢を持ったのです。...夢じゃなくて、構想ですが。
庭の仕事と同時に、ファッションの仕事がしたいと。
大学生の時、プロのデザイナーになる前、最初のプロトタイプは、ニューヨークでした。70年代でしたのでね。当時存在したTWA航空のウイリアム・サーリネンの設計による JFケネディ空港が見たくて、一人ニューヨークへ。見た時は鳥肌でした。ゾゾゾゾーって。その後も、NYで建築とモダンアート行脚。ただ、当時はアートとデザインの違いも解らず、自分が目指すのは、その両方だとも思っていました。つついでにジャズが好きでアートブレイキーのライブも行きました。もうおじいさんでしたがカッコよかった。
(ニューヨークのタップウォーターは東京よりも美味しい!びっくりです。息子がミネラル味の強いエビアンなどの有料水が嫌いなので、もっぱらタップウォーター(水道水)に助けられてます)
さて、その時、ちょっと気付いたのです。本当は自分が目指したい方向は、実はヨーロッパかもしれないと。ニューヨークで気になるもののルーツが、どうもヨーロッパにある。
それ以来、50歳を過ぎるまで、視線はいつもロンドンかパリでした。
でも、新たに目指したファッション・ビジネス。
それには、アメリカが参考になる。という直感がありました。英国やフランスの、オートクチュールの伝統とは違う視野で服を作りたい。と。
そのことがあって、この冬、私はあえて、慣れて勝手のわかる大好きなヨーロッパではなく、もしかしたら苦手かもしれないニューヨークを選んだ。楽しいだけじゃない、新たな気づきの旅をしたかったから。
(ニューヨークの地下鉄、楽しい。ぎょっとするような方も乗っておられますが、あらら小人が柱をのこぎりで切ってますよー)
今年は、新たな仕事の元年でした。
大学時代、デザイナーとして生きて行くため、大学卒業後の1970年代の終わりからプロダクトデザインの仕事を始め、その後フリーランスに。無印良品のデザイン企画や資生堂のパッケージデザイン、ファッションブランドのTOKIO KUMAGAI のアートディレクション。広告ではないアートワークもスタート、舞台美術や衣装デザイン、同時にTVCFや雑誌、舞台、デパートのディスプレィワークを始め、その後、バブル崩壊の一歩手前に、渡英。
世の中が消費社会ではなくなったとき、人が求めるのは、モノではなく、心の安らぎや充足が優先されると思ったから。
それで、見つかった次の仕事がガーデニングでした。地に足のついた職業であり、花は永久に人々のアイドルである。福島の庭も楽しみにしてくださいね!
(時々、このコメント欄にも、どうやったら吉谷みたいなガーデナーになれるか質問を頂きますが、このような過程を生きてきたので、答えようがないのが実情です。すみません。私が信じているのは、自分らしく自力で探すほかないとしか、いいようがありません)
長らく私を支えてきた言葉があります。
「ガーデニングは、芸術表現である」
在英中、繰り返し英国人から聞いたこのフレーズ。その都度、ずっと暗唱していたけれども、この事を日本で通用させるには、難しいだろうと、内心思っていました。で、今もちょっと難しいですね。生き物でもあるし。
(どこも自分の作った庭は我が子のようです)
計画をしているときは、本当に夢中になります。もうスケッチのなかに完全に入り込む。
(このスケッチは、今回の渡米の1週間前に、描いていたものです。死に物狂いの仕事でした。来年のバラとガーデニングショウのスケッチを、今回、アメリカと英国の関係者のプルーフをもらうため、なんども、計画を練り直しました。普段なら2日もあれば描けるのに、5日ほどかけた)
(もう少しで完成....)その後、NHKのご担当プロデューサー経由で、プルーフをもらうため。イギリスとアメリカへ。
(写真はオードリーヘップバーンのガーデンめぐりのDVDです)
「ガーデニングは、ひとつの芸術表現である」
今も難しいと感じています。
「ガーデニングは、ひとつの芸術表現である」
料理だって、そうだと思います。特に、これは、日本やフランスでは、そうなりうる。実際に、大変にレベルが高いからです。
で、今年から強く思うことは
「ファッションもひとつの芸術表現である」
付け足すなら
「ファッションは、最大の自己表現」
すごくおしゃれな感じで歩いてる、知らない人を見て、拍手したいときがあります。
そこよー!
服の着こなしひとつで、その人が素敵に見えるということを、軽んじてはいけないと思う。
たとえ、親からもらった体型がイマイチでも。大丈夫。
流行は少し関係あって、あまり関係ない。古くさいのは困るけれども。その人らしく素敵だったらよい。「類は友を呼ぶ」素敵であろうと努力するほどに、素敵な友人関係も広がりその人の運命が開かれていくのじゃないか。
特に50歳を過ぎたら、自分の見た目に「大きく責任を持つべき」
「これからは、服だ!」この春先に私がサンローランのビデオを観て影響を受けた話。覚えていますか?本気でやりたいと思ったのは、あの辺りから始まっています。(知らなかった方はここをクリックしてね)
1992年に、「これからはガーデニングだ」と、ガーデニングの仕事を始めた時から数えると、丁度20年経った今、今後、リスクを負いながらも、命ギリギリで駆け回れるのも、65歳までの、あと10年と決めてきた。なので、今、最後のダッシュにかかろうと思っています。
私の最後の、そして「新しい仕事」、それが、ファッション・デザインの仕事です。(...ほかの仕事も、すべてこのまま続けて行くつもりです。ご心配なく)
さて、この8月以降、パリ、帰国後から、この服のデザインはその前までは、数年前からオファーをもらっていたイギリスのシャツメーカーとの共同プロジェクトを考えていました。が。なかなかスムースに進まなかったんのです。
そこで、新しい、素晴らしい出会いが大きく関係しました。日本のブランド、日本で製造する確かなクオリティは、1週間単位で、どんどんサンプルが出来上がって行きます。この数ヶ月は大変でしたが、それで、感動の連続でした。
あまりにも長くなるので微妙に割愛しますが。
(靴下、スカーフ、靴、バッグ、アクセサリー他も進んでいます)
最初は、シャツを中心に、スタートします。3月中旬。表参道、キャットストリートを渋谷方面に向かった神宮前6丁目に、路面店がオープンします。
ブランドとお店の名前は「 Shade Yoshiya Keiko 」です。ウエブサイトは来年早々開始予定です。これも私がもっと早く手を入れないと。
今年の8月から10着以上のシャツのデザインやテキスタイルデザインをしてきました。
今、ニューヨークにいるので、初めて描いた服のデザインスケッチが手許になくて残念ですが。
それを着るだけで、その人のスタイルがよく見えて、ヨーロッパやアメリカの最近の高級レストランが顧客に要求するところのドレスコード。スマートカジュアルを、一枚のシャツで、簡潔できること。
そこを目指しています。
今回の渡米の数日前、ずらりと揃ったマイ・デザイン(セレクトも若干あります)を見て、感無量でした。
ほんの3〜4ヶ月でここまで来たのですから。もちろん、アズノウアズ社の社長の貴重な意見、パターンナーのTちゃん、小物担当のI君、パソコンでテキスタイルのリピートをつける作業をフォローしてくれるNさん、パッケージデザインは、指定図を作ると、細かい立ち回りでTさん。版下作業にかかってくれるスタッフ大勢。などなど、たくさんの方々の協力なしにはあり得ない仕事でしたが、デザインの基本はすべて自分にあったので、これはもう、怒濤の、激しい数ヶ月を過ごして参りました。
(今日はよく晴れて、ハイライン、道が凍っていましたが、カッコいい場所でした。ピート・ウドルフさん。いいぞー)
.....いろいろ混ざって、散漫な内容でしたが、それほどに、多岐に渡った私の行動がこの内容を物語っているかもしれません。生きてる間に、いろいろやりたい。それが生きる原動力。
ぜひとも!みなさま。来年3月の神宮前のショップオープンをお楽しみに!
詳しいNEWブランドのフォローは今後も続けます。今は短い時間に、まずは、最初のお知らせと
少し早いけれども、A HAPPY NEW YEAR !!!! (年越しそばならぬ、年越しカップケーキとシャンパンを用意しました)
ニューヨークは日本よりも、14時間遅れて、2013年がやってきます。そのご報告はまた新年に!