Dying gracefully
DYING GRACEFULLY
優美な末期 (と、題された、クリストファー・ロイド氏の著書のなかの1ページ。17年ほど前に、夫、吉谷博光が翻訳した一部がでてきたので、この機会にちょっとご紹介を...)
それまでの話の経緯がどうであれ、オペラの主役は最終場面でかならず甘美にそして優雅に死んでゆくことを保証されている。巧みに創作された理想像だと重々知りながらも、我々はむしろこちらが真実であると信じたいものなのだ。
ロイド氏が、特に枯れ方の醜い花の代表に上げていたのが、ブドレアだった。夏の間ずっとシュートがあっちやこっちへ向いて伸び、花後はそれが茶色く枯れる。その点、ノリウツギ’水無月’(写真上)は、開花のあと徐々に秋色になるのが美しく、これぞ、Dying gracefully だと思われた。開花時は真っ白で、これも同時に、Living gracefully でもある。
先日、ピエト・アウドルフ氏に関する文献を調べていたら、面白い記事を発見した。ダン・ピアソン氏のディリーテレグラフの園芸欄、新聞への投稿である。この記事、毎度面白いので、オススメ。
I remember Oudolf saying: "Dying in an interesting way is just as important as living,"
こういう英語、翻訳は難しい。私流の怪しいアレンジですが
「味わいある形で枯れて行くことは、これから成長していくことと同じくらい重要なことだ」
これ、しかし、もっと直訳すれば私たちの人生にもあてはまるのじゃないか?50歳半ばをすぎて、意識し始めたことでもある。
さて、ピエトさんの私庭は、ベストの公開ガーデンの時期を9月にしていて、そのころが一番美しいのだそうだ。いってみたい。私たちがツアーで訪ねた6月は、まだ、植物が若々しすぎて、なんていうのかしら、庭の「熟年の美」が見たいと、やはりその時思ったものです。
今、日本の秋が足早に終わろうとしていますが、この機会に庭のグレースさんを見つけておきたいものですね。
もっとも、日本の秋は台風や大雨などで、汚らしく黒ずんでしまう植物も多く、こうしたDying gracefully は、ヨーロッパやアメリカだけの気候帯で可能な現象なのかもしれません。
(写真は、比較的きれいに枯れてくれた年のアナベル。適度な乾燥が条件です)
今年は、長雨も多く、箱根のアジサイが綺麗な秋色になってくれませんでした。
庭、なかなか思い通りにいきません。ふぅ〜。