その反響….
前回のブログには、久々に、本音を...ちょっと書きました。(ちょっとですよ〜)いつも、国際バラとガーデニングショウのコンテストに接すると、非常にさまざまな想いがこみ上げてくるからです。
でも、エントリーすることは、とっても立派なことで、だからこそ、もっと頑張れ〜。センスを磨け〜と言いたくなるんです。
でも、勘違いされた方もおられたようでした。ちょっとでもネガティブなことって、書くの難しいですよねぇ。必要以上にエネルギーが要ります。なので、疲れていたらこんなこと書けない。「桂子さんらしくない」ですって。いや、これが私らしいのであって、無名で投稿して来た方の好みではなかったかもしれないけれど。
(去年の2月のベスチャトーガーデン。フォルムのコンポジションの庭.This is the art of planting!!!)
でも、自分が、そういわれている気になったとしたら、ごめんなさいね。以前は、人からどう思われるか(勘違いされるか)、怖くて言えなかったことなども、今年からは、少しだけ辛口発言しようかなと、思っております。難しいことではありますが、現状を良くしていくのに、どういう方法が良いのかは、やっぱり、試してみないとわかりません。
でも、先日のブログ、すごく残念だったのは、過去の優秀な作品の写真とコメント、バラショウの写真をいろいろ入れて3時間もかけて書いたのに、パソコン画面で失敗し、構築される前の未完成の画面が最終的にアップされてしまいました。(なんとそれに気づかず24時間経過)なので、そういう失敗もあるんですね。未だに機械音痴みたな私がよくぞブログを続けていると。
でも、よっぽど、あのバラショウの施工準備期間の2日間に、見学者から植物名を聞かれたりするのが、いやだったのねえ吉谷。と、言う程度。だって、頭のなかは120%の調子で「あれをこここに植えて、これはあっち、それからそれから」と、考えてるときに、「すみませ〜ん。これ、なんていう名前ですかぁ?」とか、聞かれるのはだれでもイヤですよねぇ?「こっち、こっち」とか、手招きされるのも?でも、イヤな顔せずにいかなくちゃならない立場でもある。
さて、ガーデンショウのことは、いよいよ来週から本格化しますので、また別途書いて行きたいと思っておりますが....、次は、つくづく思うことです。
現実世界で、造園の仕事で女性がうまくやっていくのは、本当に難しいことだと思います。でも、みんな私のしるかぎりのみんな、よく頑張っていて偉いと思う。あの人もこの人も!.....日本の庭に関する仕事場の現状は厳しい。ですよね?クライアントに恵まれている人がいるとすれば、やっぱり人徳だねー。
実は、昨日のブログ記事に対し、深く心に響く素晴しいコメントをいただいたので、ご紹介させていただきたいと思います。(私のことを誉めてくださる下りなどは省いたので、お許しを)また、心癒される話でもない現実的な話なので、癒しを求める方は、飛ばしてください。
20年前からずっと憧れていたガーデンデザイナー。 やらずに後悔したくない。やれるとこまでやってみよう!と決心し、学校へ通い、現在ハウスメーカーの外構&庭のデザインをさせて頂いています。
庭に対する考え方や在り方は吉谷さんに全く同感です。 それこそが、私がガーデンデザイナーに憧れた由縁です。
しかし、この業界へ足を踏み入れてわかった事。一般の方々の庭に対する考え方に、苛立ちを感じる事に、年中直面させられます。 営業マンにせよ、施主様にせよ、建物と庭は全く別ものだと思っている人の多さにも驚きます。庭は手入れが面倒だから植栽はいらないというお客様。予算がないから建物周りは格安で…と、金額の事ばかりを気にする営業マン。 面倒な施工や植栽はやりたくないと思っている造園関係者も少なくありません。 枯れ保障などの誓約があるので枯れる確立の高い花物はほとんど提案しないのが現実です。
何度悔しい思いをした事か… 同じデザイナーでさえ、植物の事をほとんど知らない・興味がない人が結構いるのです。 庭への強い思いや好きという気持ちのないデザイナー。なぜこの仕事をしているのか疑問…。 いかに短時間で、1軒の、いわゆる外構計画を終えるか…に神経を注いでいるデザイナーもいるのです。
下手するとモチベーションも下がり、自分も周りの波に呑まれてしまい兼ねない環境ですが、目標を見失わないで思いを持ち続けられるのは、吉谷さんから発信される言葉です。 いつも正しい方向へと導いてくれる灯台のように、毎回ブログを楽しみに拝見させて頂いています。 これからも、灯台のように吉谷イズム、発信し続けて下さい!
ありがとうございます。でも、貴方は正しいと思います。そういう憤りを抱えつつ、理想を追究するのが人生の本懐だからね。まったく同じ様な状況に、私も長い間、悩まされてきました。(自分の口から言えないので、頂いたコメントに力を借りたようなところもあります)それから、そういって下さるのが嬉しい反面、うかつなことはいえないとは、実感しているのでありますが、私の仕事仲間たちのぼやきも、本当に痛切で、貴方様と同じです。このことは、実情といえるのではないでしょうか?
クライアントから「伸びない木を植えてください」「余計な植物を植えないで」「枯れ葉が落ちない。庭が暗くならない木を」「なにも植えないで!」と言われる話。窓の外に新緑が見える幸せとか、春に花が咲く落葉樹の嬉しさとか、そういう心の感動ではなくて、掃除が面倒。手間がいやだという気持ち。わからないでもないけれども、手間がかかっても、この眺めの美しさ、喜ばしさはどうなるのか!と言いたくなることがあります。でも、やっぱり、それをわかってもらうのは、なかなか大変なようです。
その人の心のなかにないものは、理解されない。というのが基本ですから。落ち葉掃除の大変な樹木ではあるけれども、巡る季節の美しさゆえにどうにか、折り合って行こう。というのが基本だと思いますが、面倒だから切ってしまった、話もよく耳にします。辛いですねぇ。でも、なにかしら、自分の価値観、美意識は努力次第で上げて行けるもの。人徳も、人脈もすべて関係があって。
それから、アート全般に言えることですが、感覚的に共感のないものに、お金なんて出せないとみんな思っている。でも、諦める前に、とにかく美しい何かを発信していく努力というのは、様々なアプローチ方法があるのではないかと思います。諦めないで!
また、日本の場合、植物が大好きな人は結構多いけれど、それを、今度は、「絵になるように配置しよう」となると、まだまだ難しいのだと思います。イギリスと比べて、夏の夏さなど、比較にならないし。同時に、イギリスの方々の意識の高さも比較にならない。うううっ。
と、この問題は、今後も、抱えつつ、時々思い出した様に話題にして行きたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。